令和5年度日本水産学会論文賞の選考結果について

公益社団法人日本水産学会 編集委員会
委員長 岡田 茂

【総評】 日本水産学会では,毎年 Fisheries Science 誌と日本水産学会誌に掲載された報文の中から,特に優れたものを日本水産学会論文賞の受賞論文として表彰している。本年度も,2023年に Fisheries Science 誌と日本水産学会誌に掲載された論文,および過去6年間に出版され被引用数の多かった論文の中から授賞候補論文を選抜した。

まず2023年に掲載された論文からの選抜では,第一次選考において編集委員を漁業,生物,増養殖,環境,化学・生化学,利用・加工,社会科学の7分野に分け,各分野における論文数の20%に相当する優秀な論文を選抜した。選抜にあたっては内容の新規性,論文の完成度,社会的な影響力,今後の研究の方向性に与える影響など,多様な視点から評価を行った。次に第二次選考では,編集委員全員により,第一次選考で選ばれた論文に対し投票を行った。最後に,得票数が上位のものから授賞に値するかどうかの判定を行い,下記のとおり5編(1~5)の論文(掲載総数のおよそ5%)を選出した。選考の過程を通じ,各編集委員の専門的な識見に基づいて,論文賞の目的に合致する優れた論文が選抜されたものと考えている。なお,選に漏れた論文の中にも社会的に重要性の高い内容のものや,研究の新たな展開に資すると思われるものも少なくなかった。今後も我が国の高品質な水産学の研究成果が,継続的に発信されていくことに期待したい。

一方,過去6年間における被引用数が特に多かった論文の功績表彰については,下記の2編の論文(6,7)を選定した。授賞候補論文は被引用回数の多かった順に,ニホンウナギの環境DNAの安定性と水温の関係性に関するもの,次いで,養殖バナメイ代替飼料としての細菌由来タンパク質の評価に関するものである。いずれの論文も掲載後に安定して引用されてきており,Fisheries Science 誌の国際的な認知度を向上させる点で貢献度が大きいと考えられた。

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1.Fisheries Science 89巻2号:203-214 (2023)

Trophic state-dependent distribution of asari clam Ruditapes philippinarum in Japanese coastal waters: possible utilization of asari stable isotope ratios as a production indicator

(栄養塩・餌料環境に依存したアサリの分布:アサリ安定同位体比がアサリの生産性指標となり得る可能性)

内田基晴,石樋由香,渡部諭史,辻野 睦,手塚尚明,高田宣武,丹羽健太郎

https://doi.org/10.1007/s12562-022-01663-5

【要旨】国内20漁場のアサリ(2013年,2014年産)の安定同位体比(δ15N,δ13C)を調べた結果,それらの値が漁場の栄養塩・餌料環境指標(T–N,クロロフィルa量)と正の相関を示した。さらに,各漁場のアサリの5年平均生産量は,漁場の栄養塩・餌料関連指標(5年平均T–N,同クロロフィルa量,アサリδ15N,同δ13C)と正相関し,餌の量との関係性が強いことが示された。瀬戸内海の全ての漁場では,栄養塩・餌料関連指標,アサリ生産量ともに小さく,貧栄養・貧餌料化によるアサリ生産量の低迷が示唆された。

【推薦理由】アサリ資源の減少は我が国内の異なる地域で同時多発的に起こっており,その原因解明は水産上,大変重要な課題である。国内の広範囲にわたりアサリを採集し,減少しているアサリ生産量と栄養塩・餌料環境の関連性を安定同位体比から明瞭に示し,貧栄養化によるアサリ資源の減少を科学的に立証した論文である。合理性と説得力があり,生産性の予測や貧栄養化および資源低下の防除策の開発にもつながる成果として高く評価できる。

2.Fisheries Science 89巻5号:573-593 (2023)

Impacts of regime shift on the fishery ecosystem in the coastal area of Kyoto prefecture, Sea of Japan, assessed using the Ecopath model

(エコパスモデルにより推定した京都府沿岸域の漁業生態系に対するレジームシフトの影響)

井上 博,亘 真吾,澤田英樹,Edouard Lavergne,山下 洋

https://doi.org/10.1007/s12562-023-01691-9

【要旨】京都府沿岸域を対象に寒冷/温暖レジーム期,漁業構造が異なる1985年と2013年のエコパスモデルを構築した。両期間で複数の生態系指標値を比較し,生態系構造の変化や生態系に対する漁業の影響を評価した。漁獲物の基礎生産要求量は1985年の方が高く,マイワシの影響の大きさを反映していた。漁獲物の平均栄養段階や雑食度指数は,温暖期に食物網構造の安定性が高まったことを示唆した。漁業の持続性を示すPsust解析では,定置網が主体の2013年の漁業構造が,まき網と定置網が主体であった1985年より持続的な漁業に貢献していることが示された。

【推薦理由】エコパスモデルを用いてレジームシフトが漁業生態系に及ぼす影響を検討した論文である。環境要因と漁法の違いが,生態系内の漁獲物の生物量の違いに与える影響を包括的に解析した論文として高く評価できるのみならず,京都府沿岸を対象としながらも,当該地域の知見に留まることなく汎用性の高い成果を提示しており,日本から発信するモデルケースとして非常に貴重である。さらには本モデルにより,持続的な漁業への貢献についてまで言及している点も評価出来る。

 

3.Fisheries Science 89巻5号:687–698 (2023)

Capability of DHA biosynthesis in a marine teleost, Pacific saury Cololabis saira: functional characterization of two paralogous Fads2 desaturases and Elovl5 elongase

(海産回遊魚サンマにおけるDHA合成酵素の機能解析:サンマはDHAを自ら合成できる)

松下芳之,壁谷尚樹,川村 亘,芳賀 穣,佐藤秀一,吉崎悟朗

https://doi.org/10.1007/s12562-023-01710-9

【要旨】サンマの豊富な脂質にはドコサヘキサエン酸(DHA)が大量に含まれている。海産魚は一般にDHAを合成できず,餌からの摂取に依存していると考えられてきた。サンマもまたDHAを合成できず,その豊富なDHAは全て餌に由来するのだろうか。我々は本種のDHA合成能を明らかにするため,脂肪酸不飽和化酵素および鎖長延長酵素の機能解析を行った。その結果,サンマはドコサペンタエン酸から直接DHAを合成するΔ4不飽和化酵素をはじめ,α–リノレン酸からのDHA合成に必要な酵素機能のすべてを具えていることが明らかになった。

【推薦理由】ドコサヘキサエン酸 (DHA)などの長鎖多価不飽和脂肪酸(LC-PUFA)は,多くの海産魚において成長などに重要であるが,生合成遺伝子を失っているために自身で生合成は出来ず,餌から摂取しているとされていた。本論文ではLC-PUFAを多く含むサンマが内在性の酵素によってそれらを生合成している可能性を検証し,生合成経路に含まれる3つの酵素遺伝子をサンマから同定するとともに,それらが実際にLC-PUFA合成活性を持つことを組み換え体を用いて実験的に証明した。遺伝子の探索から機能解析までを明確なデータでまとめ,定説を覆した点が高く評価できる。また,サンマがなぜLC-PUFA合成酵素を有しているかについての進化学的,生理学的考察も秀逸である。

 

4.日本水産学会誌 89巻3号:264–275 (2023)

内水面の漁業協同組合の増殖経費

中村智幸, 関根信太郎

https://doi.org/10.2331/suisan.22-00053

【要旨】日本の内水面の漁業協同組合(以降,組合)における水産資源の増殖経費の実態を理解するため,2010,2017事業年度の全国の組合の業務報告書の記載内容を解析した。総支出額に占める総増殖経費(義務増殖経費と自主増殖経費の合計)の割合の平均値は2010年に35.8%,2017年に35.2%,総支出額に占める義務増殖経費の割合の平均値は2010年に27.6%,2017年に23.6%であった。組合は平均で義務増殖量(目標増殖量)の2010年に1.8倍,2017年に1.7倍の金額分の増殖を行っていた。

【推薦理由】本論文は,内水面漁業に関する第五種協働漁業権に付随する水産動植物の増殖の義務について,漁協経営の観点から現状を分析し,今後の持続的内水面漁業にむけてのいくつかの提言を取りまとめたものである。一般的には広くは知られていない,この増殖の義務について取り上げたことは,遊漁者や近隣住民からの漁協活動への理解を進めるためにも重要であると言える。主要6魚種についての現状分析では,いずれの漁協も増殖行為の実施に努めていることが示された一方,人工種苗生産が不確定なウナギやフナでは,放流種苗の確保が今後の課題であることが指摘されている。また,今後の持続的内水面漁業の発展には増殖は不可欠であるものの,大規模気候変動や災害リスクが高まる中,増殖費用の負担や放流量等の算出には,漁協経営の持続性を十分に踏まえるべきとする重要な示唆が含まれている。
論文自体の完成度も申し分なく,内水面全般を対象にしているため,今後,内水面の漁場管理を扱った論文において,広く引用されることが期待される。

5.日本水産学会誌 89巻4号:330–337 (2023)

2010年代の10年間にわたる長崎県野母町地先の藻場の変化

門田 立, 八谷光介, 吉村 拓, 邵 花梅, 清本節夫

https://doi.org/10.2331/suisan.22-00054

【要旨】長崎県野母町地先の藻場の変化を把握するため,2010年から2019年にかけて海藻と水温のモニタリングを行った。調査開始時はクロメ,ノコギリモク及びアントクメなどの大型海藻が優占したが,2013年12月までにクロメとノコギリモクが消失した。アントクメは2016年に急激に減少し,それ以降,小型海藻が優占する藻場となった。16年は春の平均水温が最も高く,アントクメには魚類の食痕があったことから,水温上昇に伴う魚類の採食圧とアントクメの生産力のバランスの変化がアントクメの衰退要因になった可能性がある。

【推薦理由】10年間という長期にわたる継続的な調査により,藻場の変化を捉えた論文である。海水温上昇や食害などの影響を検討しつつ,大型海藻藻場から小型海藻藻場への変化が生じていることを明らかにした貴重な報告であり,論文としての完成度も高い。また,長崎県という特定の地域の藻場についての報告ではあるが,環境変化により分布特性が変化しつつある海域であるため,その知見は長崎県にとどまらず重要な情報である。

6.Fisheries Science 85巻1号:147–155 (2019)

Evaluation of a single-cell protein as a dietary fish meal substitute for whiteleg shrimp Litopenaeus vannamei

(バナメイ用飼料における魚粉代替原料としての単細胞タンパク質の評価)

Ali Hamidoghli, Hyeonho Yun, Seonghun Won, SuKyung Kim, Nathaniel W. Farris, Sungchul C. Bai

https://doi.org/10.1007/s12562-018-1275-5

【要旨】バナメイ用飼料において,細菌由来タンパク質 PROTIDE(PRO)による至適魚粉代替率を検討した。PROによる魚粉代替率を0–40%まで5段階に調整した飼料を,平均体重0.15 gの稚エビに9週間給与した。終了時体重,増重率,増肉計数は,代替率0および10%区が,30および40%区よりも有意に優れた。筋肉および全魚体のタンパク質含量は,飼料中 PRO含量の増加にともない上昇した。バナメイ用飼料におけるPROの至適魚粉代替率は,アミノ酸を補足しない場合には10–20%であると考えられた。

【推薦理由】本論文の過去6年間における被引用件数は授賞対象論文の中で2位であったが,1位とは僅差であり,かつ,掲載年から比較的時間が経過しているにも係わらず引用数が多かったため,論文賞授賞規程ならびに日本水産学会論文賞選考についての申合せ事項により,選定したものである。

7.Fisheries Science 86巻3号:465–471 (2020)

The effect of temperature on environmental DNA degradation of Japanese eel

(ニホンウナギの環境DNAの分解率に及ぼす水温の影響)

笠井亮秀,高田真悟,山崎 彩,益田玲爾,山中裕樹

https://doi.org/10.1007/s12562-020-01409-1

【要旨】環境DNAは希少種の検出に有効で便利な手法である。本研究では,水産上重要であり絶滅危惧種でもあるニホンウナギに特異的なプライマーセットを開発し,環境DNAの減衰率を求める実験を行った。ウナギを10–30℃の5つの水温区に保った水槽に入れて飼育したのち,水槽から水を取り出し6日間保管した。その間,毎日環境DNA濃度を測定した。その結果,環境DNA濃度の減衰率kは水温Tと有意な正の相関を示した(k=0.02T+0.18)。この結果は,将来のフィールドデータの解釈に役立つであろう。

【推薦理由】本論文は過去6年間において,被引用件数が授賞対象論文の中で最も多かったため,論文賞授賞規程ならびに日本水産学会論文賞選考についての申合せ事項により,選定したものである。