令和6年度日本水産学会論文賞の選考結果について
公益社団法人日本水産学会 編集委員会
委員長 松石 隆
【総評】日本水産学会では,毎年 Fisheries Science 誌と日本水産学会誌に掲載された論文の中から優れたものを論文賞として表彰している。本年度は,2024年に掲載された論文および過去6年間に出版され引用数の多かった論文から候補を選抜した。
まず2024年掲載論文について,編集委員が7分野に分かれて全体の20%に相当する優秀論文を選出し,内容の新規性や社会的影響力など多角的に評価した。その後,編集委員全員で投票を行い,得票数上位から授賞論文を判定し,6編(掲載総数の約5%)を選出した。選考過程を通じて,目的に合致する優れた論文が選ばれたと考えている。今後も日本の高品質な水産学研究が広く発信されることを期待したい。
また,過去6年間で被引用数が特に多かった論文(既に論文賞を受賞している論文,APCを編集委員会が負担した論文を除く)として,以下の2編(7,8)が選定された。授賞候補は被引用回数順に,クロレラの飼料添加によるティラピアの亜ヒ酸ナトリウム毒性緩和に関する研究に関する論文,およびティラピアへの枯草菌投与による成長,免疫および病原菌の制御に関する論文である。これらはいずれも掲載後に安定した引用が続き,Fisheries Science 誌の国際的認知度向上に大きく貢献したと評価された。
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1.Fisheries Science 90巻2号:257-267 (2024)
Efficacy of octopus feed encased within a collagen membrane
(コラーゲンケーシングを用いたマダコ用育成飼料の有効性)
鈴村優太,松原圭史,森井俊三,阿部正美,イアン・グレドル,西川正純,片山亜優,西谷 豪,福島 天,山崎 剛,秋山信彦
https://doi.org/10.1007/s12562-023-01743-0
【要旨】マダコの飼育に適した給餌方法として,コラーゲンケーシングに原料を封入した飼料を作製した。イカとカニの2原料でケーシングに封入した場合と封入しない場合で成長を比較した。カニではケーシングに封入することで成長が改善された。マダコがケーシングの中身のみを摂餌することも観察されたため,摂餌途中の餌の酵素活性を測定したところ,後唾液腺に由来すると考えられるプロテアーゼが検出された。よって,ケーシングで包むことで飼料の保形性が向上する他,摂餌時の酵素の流出が抑制され,効率的な摂餌が可能であると結論づけた。
【推薦理由】本研究は,飼育が困難とされるマダコの養殖技術において,新しい飼料の開発とその効果を示した点で評価できる。特に,マダコの摂餌行動を考慮し,飼料をケーシングに封入するというユニークな試みは,新たな知見を提供するものとして注目に値する。また,この飼料によってマダコの生理的活性が向上した点も重要であり,飼料開発が養殖の課題解決に寄与する可能性を示している。マダコ養殖の最適化に向けた有益な知見を提供する研究として高く評価される。
2.Fisheries Science 90巻2号:295-305 (2024)
(鶏卵黄と乳タンパク質からなる飼料はウナギ仔魚用サメ卵代替飼料となりうる)
古板博文,神保忠雄,樋口理人,野村和晴,須藤竜介,松成宏之,村下幸司,奥 宏海,山本剛史,田中秀樹
https://doi.org/10.1007/s12562-024-01752-7
【要旨】鶏卵黄及び乳タンパク質を主原料とする2種類の飼料を作製し,ウナギ仔魚用飼料としての性能を飼育試験によりサメ卵主体飼料と比較した。鶏卵黄と脱脂粉乳を主原料とする飼料1,及びそれを改良し,カゼイン,酵素処理魚粉を加えた飼料2ともに,サメ卵主体飼料と同等あるいは上回る生残率,成長を示した。さらに,いずれの飼料でもシラスウナギを育成することができたが,実験1ではサメ卵飼料に比べて形態異常が多かった。鶏卵黄及び乳タンパク質を主原料とする飼料は,サメ卵主体飼料を代替できるウナギ仔魚用飼料になりうると考えられた。
【推薦理由】本研究では,サメ卵に代わる原料を用いたウナギ仔魚用飼料の開発に成功し,ウナギ完全養殖の課題であった飼料の矛盾を解消した点が高く評価される。これにより,ウナギ仔魚の安定的生産と完全養殖の実現に向けた可能性が広がり,水産研究や振興に大きな影響を与えると考えられる。また,実用性が高く,産業応用が期待される成果である。
3.Fisheries Science 90巻4号:591-605 (2024)
(瀬戸内海におけるイカナゴの初期成長及び生残に関する年次変異)
赤井紀子,斉藤真美,米田道夫
https://doi.org/10.1007/s12562-024-01785-y
【要旨】瀬戸内海中央部において,2011−2014年,2019−2020年の6か年に漁獲されたイカナゴの耳石解析から,ふ化のタイミングや成長率の変動によって初期生残が説明できるかどうかを調べた。仔魚期と稚魚期の成長率は,経験水温と有意な正の関係があった。各採集年の仔魚期について,ふ化日が遅くなるほど経験水温は低下する傾向にあったが,水温補正後の相対成長率はむしろ上昇する傾向にあった。仔魚期において,相対成長率の高い個体の出現割合が多い年は,相対的に加入量が高く,初期生残の変動を説明できる可能性がある。
【推薦理由】近年,資源の急減が深刻化しているイカナゴについて,加入量予測に役立つ本研究の知見は,現場関係者にとって非常に有益である。魚類の成長と水温の関係が広く研究されてきた中で,水温の影響を補正し,異なるコホート間で解析するという斬新なアプローチは,他の研究にも参考になる点で高く評価できる。また,イカナゴ仔稚魚期の成長,水温,ふ化タイミングと加入量変動の関係を丹念に解明し,複数海域で問題となっている資源減少への対応に資する知見を提供している。瀬戸内海の重要水産資源であるイカナゴの資源管理に向けた貢献が期待される成果といえる。
4.Fisheries Science 90巻5号:687-700 (2024)
(再生産関係に大きな不確実性がある場合,どのような%SPRが日本の水産資源に目標として適用可能か)
宮川光代,市野川桃子
https://doi.org/10.1007/s12562-024-01786-x
【要旨】本研究では,世界的なデータベースをもとにメタ解析から推定された再生産関係におけるスティープネスパラメータに関する最新の知見と,日本の水産資源の生活史パラメータの情報をもとにMaximum Minimum Yield(MMY)を30系群の日本の水産資源で推定し,MSY管理基準値の代替値(F%SPRMMY )をもとめた。その結果,系群や仮定するシナリオにより%SPRMMYは23–62%と幅を持ち(サワラ瀬戸内海系群の86%を除く),またF%SPRMMYで漁獲すれば,最低でもMSYの70%程度の漁獲量が見込めることがわかった。%SPRMMYは,再生産関係の不確実性を反映した予防的な値となった。
【推薦理由】漁業資源管理における再生産関係の不確実性を考慮し,持続可能な漁獲量を算出する新たな指標を提案した論文である。再生産関係の推定が難しい魚種にも適用可能な代替管理手法の性能を,30種の魚種データを用いて包括的に検討しており,従来の方法よりも柔軟性が高く,漁業政策に直結する科学的な指標を提供している点で高く評価できる。情報の少ない魚種や系群に対しても適切な資源管理を展開する必要性が高まる中,本研究はその課題を解決するための指標をメタ解析により検討した力作である。特に,再生産関係の推定が難しい種に適用される代替手法の性能を包括的に評価した点は,資源管理における重要な知見を提供している。本研究で提案された指標は,日本の水産資源管理における新たな基準となる可能性があり,明確な目的設定に基づいた実践的かつ充実した内容であることから,関連分野へのインパクトも大きいと考えられる。新しい手法の有用性を示した論文として,非常に実用性の高い研究成果である。
5.Fisheries Science 90巻5号:745-754 (2024)
(リアルタイムグルコースモニタリングバイオセンサによる環境光色がナイルティラピアのストレス応答に及ぼす影響の評価)
劉 騰宇,呉 海云,村田政隆,松本陽斗,大貫 等,遠藤英明
https://doi.org/10.1007/s12562-024-01800-2
【要旨】様々な養殖条件下での魚類のストレス応答を理解することは,養殖の最適化に不可欠である。本研究では,ワイヤレスバイオセンサシステムを用いて血糖値のリアルタイムモニタリングを行い,異なる光の色(青,緑,赤)が養殖中のナイルティラピアOreochromis niloticusのストレス反応に与える影響を調べた。結果として,青色光は随時血糖値を低下させストレスの回復に効果的であること,緑色光は急性ストレス時には血糖を上昇させるが長期的には青色光と同様の効果があること,赤色光は血糖値の大きな変動を引き起こし,潜在的な害がある可能性が示された。
【推薦理由】本研究は,ティラピアを対象にリアルタイムグルコース測定系を用いた低侵襲的なストレス評価法を構築し,飼育環境の光の色がストレス応答や回復に与える影響を明確に示した点で高く評価できる。眼球強膜間質液中のグルコースレベルを経時的にモニタリングする独自の手法を活用し,空気曝露やアンモニア曝露に対する応答が青色光環境で軽減されることを解明している。ストレス評価における基礎的価値と現場応用への可能性を兼ね備えた成果であり,魚類の生理研究や飼育環境の改善に寄与する点で極めて有用である。
6.日本水産学会誌 90巻2号:115-124 (2024)
東日本大震災で被災した岩手県南部沿岸の砕波帯における仔稚魚相の変化とその要因
片寄 剛, 佐藤 直司, 朝日田 卓
https://doi.org/10.2331/suisan.23-00043
【要旨】越喜来湾の浦浜海岸および河川等では,東日本大震災前後で環境が変化した。震災前後の仔稚魚相を比較した結果,震災後は震災前よりも総出現種数が増加し,種組成が変化したことが明らかになった。震災前と比較して,転石が増加し,海藻が繁茂するなど海岸の環境は多様化しており,仔稚魚相の変化の一因と考えられた。一方,両側回遊魚の出現や,震災前の海岸で例年出現していた定住種の経年的種数増加など,河口域に隣接する地理的特性を反映した仔稚魚相が4年後までに回復したことも明らかになった。
【推薦理由】本研究は,震災前後の越喜来湾における仔稚魚相の変化を長期的データに基づいて解析し,震災や津波の影響と環境変化を切り分けた考察を展開した貴重な報告である。震災前から継続的にデータを蓄積してきた強みを活かし,魚類相の変化と回復過程を明瞭に示した点は,震災の影響を科学的に検証する上で非常に価値が高い。長期モニタリングの重要性を明確に示し,震災復興への貢献として水産学的にも評価されるべき研究である。
7.Fisheries Science 85巻1号:199–215 (2019)
(Chlorella vulgaris の飼料添加はティラピアに対する亜ヒ酸ナトリウム慢性毒性を改善する)
Eman Zahran, Walaa Awadin, Engy Risha, Asmaa A. Khaled, Tiehui Wang
https://doi.org/10.1007/s12562-018-1274-6
【要旨】本研究では,ティラピアに対する亜ヒ酸ナトリウム慢性毒性を Chlorella vulgaris(Ch)の飼料添加により緩和することが可能かどうかを病理組織学的,生化学的ならびに免疫学的な指標により評価を行った。亜ヒ酸ナトリウム 7 ppm に 21 日間浸漬暴露したティラピアの鰓,肝臓及び腎臓に毒性所見が観察された。血液生化学検査では,ALT,AST,ALP,尿素窒素及びクレアチニンの上昇と Na+ 及び総タンパクの低下が見られた。さらに,IL-1β,TNF-α 及び TGF-β1 の遺伝子発現量は亜ヒ酸ナトリウムへの暴露により顕著に上昇した。一方,これらの毒性所見は飼料への Ch 添加量に依存して軽減された。
【推薦理由】本論文は,過去6年間で被引用件数が多かったことから,論文賞授賞規程および日本水産学会論文賞選考に関する申合せ事項に基づき選定されたものである。
8.Fisheries Science 86巻2号:353–365 (2020)
(ティラピアOreochromis niloticus Linnから分離されたバチルスの投与による成長と免疫および病原菌の制御について)
Nutnicha Sookchaiyaporn, Prapansak Srisapoome, Sasimanas Unajak, Nontawith Areechon
https://doi.org/10.1007/s12562-019-01394-0
【要旨】本研究では,ティラピアより分離された2株のバチルスについてプロバイオティクス効果を調べた。バチルスの種同定は,生化学的特徴および16SrRNAの配列によって行った。両バチルス株を8週間ティラピアに給餌したところ,平均体重,成長率等に有意な影響を与えなかった。レンサ球菌S. agalactiaeを用いた攻撃試験で生存率に差はみられなかった。これらバチルスを投与した魚のいくつかの自然免疫は対象区よりも有意に高かったが,スーパーオキシドアニオンと補体の代替経路活性には差はなかった。塩分濃度に対するストレスも改善しなかった。これらの2つの菌株は,魚病の制御と免疫活性化に使える可能性が示された。
【推薦理由】本論文は,過去6年間で被引用件数が多かったことから,論文賞授賞規程および日本水産学会論文賞選考に関する申合せ事項に基づき選定されたものである。